HYSTORY
YJシステムができるまで
ORIGIN OF TECHNOLOGY
技術の原点
有限会社 大機製作所(創業1969年)の取締役時代

当初、私は、親族と共同経営の、㈲大機製作所(創業1969年)の経営に携わっていた。
業務の主体は、機械部品の加工(下請け)であった。
ダムウェーターの捲上機を関東地方メーカーから買っていた当時の取引先担当者が、私に言った。「現行製品は性能があまりよくない。納期も定まらない。」
当時、下請けの工場ではなく、自社開発製品を販売するメーカーへの脱却を図っていた私は
「じゃあ、私が開発設計した製品を作れば、買ってくれますか」と問いかけた。
「そうしてくれたら、買うよ」との約束をいただいてから6か月。
1974年、1号機が完成し、そして6か月に渡るテストの結果、合格と判定された。

最初の納品先は、菱電エレベータ施設(株)(三菱電機(株)の子会社)であった。

二年後、菱電エレベータ施設㈱の本社にて、本採用の話が出た関係で、三菱電機㈱昇降機事業部長を紹介された。
私の出身大学の大先輩でもあるその部長が、「品質管理についての考え方は」「今の会社を、将来どういう会社にしたいか」についてレポートを提出するようにと私に指示された。
当時30代の働き盛りであった私は、一週間でレポートを書きあげ、提出した。そのレポートを読まれた事業部長に、内容を高く評価して頂いた。他社製品を超える性能を実現し、かつ、安定して供給できる体制を構築することを条件に三菱電機㈱製ダムウェーターの捲上機の多くを、㈲大機製作所が受注する事となった。

40年間で6万台余売り上げるロングセラー商品に

三菱電機㈱での採用は、当業界他社からの引き合いを呼び、メーカーとしての本格稼働につながった。この装置は、40年間で6万台余売り上げるロングセラー商品になった。
マイナーチェンジをしながら、現在も製造販売中である。
1984年ごろには、貨物用の大型機を開発
昇降機用捲上機の品質においては、高い評価を得、各社で採用いただいている。

CHALLENGE TO NEW FIELDS
新しい分野への挑戦

HC型内公転歯車減速機で特許を取得

捲上機の事業展開が一段落したので、次の製品群を開発し、特許を取得したのが、HC型内公転歯車減速機であった。
それを組み込んで車載用ウィンチや、伸線機用特殊減速機、CNCガラス切機(ガラス切断機用減速機)等を開発し、製造販売した。

CV-Rロボット用減速機(各種)

車載用ウィンチ

CNCガラス切機用減速機
((株)尼崎工作所製)

伸線機用特殊減速機

三菱重工業㈱製CV-Rロボット試作機
(1984年完成)

  • (一般社団法人)日本ロボット学会「4脚車輪型移動ロボットの研究開発」より抜粋

ノーバックラッシ減速機を応用した
屈折運動アクチュエーター

その2年後(1980年)、三菱重工業(株)から「こういうのができないか?」と依頼されたのが高精度高機能HC減速機である。
原子力発電プラントの緊急時に出動できるロボット(CV-Rロボット)を三菱重工業(株)で開発することになったのだがその関節部は、通常の半分に小型・軽量化した上で、大きなパワーを要求される。
従来の機構によるコンポーネントを各種製作し、三菱重工業(株)にてテストを繰り返したが、上手くいかなかった。そして、急な話であったが、三菱重工業㈱技術本部高砂研究所から「山本さんのHC減速機を使って作れないか?」との打診があったのだ(1981年)。
早速設計にかかった私は、三菱重工業(株)からの強力なバックアップを得ながら、様々な失敗と苦労を重ね、約一年後(1982年)にCV-Rロボット用減速機を完成させた。CV-Rロボットの試作機としては、1984年に完成をみた。
その後、HC減速機は、三菱重工業(株)の開発による、ロボット(上記)の多関節型マニピュレーター用アクチュエーター(駆動部分)に使用されることになった。引き続き現在でも、ロボット関節部等に多数使用されている。

階段昇降実験風景

  • (一般社団法人)日本ロボット学会
    「4脚車輪型移動ロボットの研究開発」より抜粋

ここをクリックすると動画をご覧いただけます

三菱重工業㈱製壁面探索修復ロボット

TRIGGER FOR INVENTION
OF YJ SYSTEM
YJシステム発明のきっかけ

少ない資源で膨大なエネルギーを生む原子力発電は、素晴らしい技術と思っていたのだが、スリーマイル~チェルノブイリ~美浜原子力発電所等の事故があり、結果、原発のもろさが露呈され、原子力発電のシステムそのものが、環境の観点から、非常に問題があると感じた

CV-Rロボット(その他のロボットも含め)の開発に携わったのは、その難問の解決に、少しでも役立つことができれば、という思いもあった。
原子力発電へのイメージが逆転したことで、例えば、水処理に代表される環境技術の装置はどうなのだろうか、と考えるようになった。
専門家による水処理技術の講演会等に足を運び、調査した結果、深部や広大な水域に酸素を供給する有効なシステムがないことがわかった。
そして、滋賀大学環境学の鈴木紀雄先生の講演会で「20~30年後には、琵琶湖の湖底が酸欠になる可能性が大きい」という話を聞き、それを防ぐ工学的な方法がないと知った。
水深100mまで泡(酸素ガス)を届ける技術が存在しないのだ。
今までのものとは次元の異なる装置を作らねばならない。ならば、自分がやるしかない、と思った。

これが、YJ装置開発のきっかけとなった。

BIRTH AND TECHNOLOGY
YJシステムの誕生と、それを支える技術力
九州遠賀川猪熊のYJ設置現場にて撮影

そんな中、私は、従来のものとは違う、理論的には大規模、大深度の水系に対応できる、超微細気泡発生装置のアイデアを思い付いた。
それは、従来のものとは次元が違う構造だった。
ちょうどそのころ、個人的な知り合いの特許の専門家に、そのアイデアを話した。
「山本さん、それ、面白いですよ」。
彼は、技術や特許取得の面で、全面的に協力していただいた恩人である。
彼の協力で、YJシステムの基本特許は成立したといっても過言ではない。

それをきっかけに、数多くのゴルフ場池で水質問題の改善業務を受注し、成功した。
各種の特許を出願(4年で7件)しながら、8名(全員が出資者であり取締役)の仲間と共に、平成6年1月に(有)バイ・クリーンを設立した。設立メンバーの中で北野氏(㈱尼崎工作所の部長)の尽力が大きく、異色ではあるが、協議の上、代表取締役は北野氏と私、2名とした。
その後、旧知の仲であった林市雄氏に話したところ、林氏の紹介による大阪大学工学部機械科OBの倉橋氏((株)大気社の常務)が中心となって人選し、池田氏、中島氏(東洋紡(株)OB)の協力を得て、私を含む20名の出資者が集い、㈱ポリテクノ・クリーン(資本金1000万円)を設立した。
これらの会社設立が、YJシステムを世に出す飛躍的な一歩となった。
有能な人材と、充分な資金が集まり、YJの本格的な営業活動が可能となったのだ。
また、林氏の出身大学(神戸大学)の後輩である南川先生(滋賀県立大学の助教授)を通じて、下記メンバーと共に、滋賀県立大学より、大深度曝気研究の補助金(1200万円)を申請し、認定された。
その資金を活用し、産官学連携の実験※1を行った。

※1 平成13年度滋賀県立提案公募型産学官新技術開発事業
テーマ:「微細気泡を用いた大深度の溶存酸素濃度の増加・水環境改善」
研究員:南川久人(博士)・山下重和(博士)・渡辺浩三(建設コンサルタント)・中島正・池田庄治(工学士)・林市雄(工学修士〔 機械〕)・山本孝(工学士)

ダムサイトでの実験(65m落差)で、60mの底層の酸素濃度が大きく上がった。目視できる大きさの気泡は浮上するが、空気中の酸素は高濃度に溶存することが証明されたのだ。
大深度(60m)まで酸素濃度(DO値)が過飽和の水塊が大量に届いたことが、これで証明された。
いままで、60mを超える底水に、酸素を届ける方法はなかったのだが、可能になったのだ。
そして、現在では、日本国内のゴルフ場池や堀の浄化、また汚水処理等に多数採用され成果を上げている。

また、簡易水道(九州地区が多い)の水質改善等にも有効であることが証明され、その他種々の用途開発、実用化も進んでいる。
また、国土交通省九州地方整備局により、1級河川の遠賀川の河川水の浄化装置として採用され、YJシステムが大規模な水域にも有用であることが公的なデータによって示され、証明された。
海外では、米国カリフォルニアで畝氏が畜産ラグーン(3.5万トン)他を(当時、私はカリフォルニアの乳業業界で有名な雑誌〔California Dairy /May 1998〕にスーパーバイザー(管理監督者)として掲載された)、韓国では全氏を中心としたグループ(日本人も含む)が、畜産ラグーンやドアムダムの浄化等を成功させ、これにより、YJシステムは、国際的にも認知され、大きな実績となった。

YJ装置の製造には、従来の水処理装置と違って、高度の加工・組立精度が必要である。
設計開発力だけではなく、製造技術の裏付けと、高度の品質管理能力も必要である。
私は、大学で機械工学を履修し、自動車メーカーでの製造技術の仕事の中で、潤滑油のグリスの耐久試験機を開発した。そしてその後独立し、動力伝達装置、昇降機の駆動装置、原発向ロボット用関節等の開発・設計・製造管理に携わってきた。(有)バイ・クリーンと㈱ポリテクノ・クリーンやその他の協力者も有資格者であった。
それ故に、精度が高く、高い信頼性が要求される、YJ装置の開発を成功させることができた。
※文中の所属・役職名は当時のものであり、敬称は略させていただきました。

有限会社バイ・クリーン 代表取締役 山本 孝